新神戸駅から歩いて5分。住宅街の一角に、竹中大工道具館はある。
竹中工務店が1984年に設立した、大工道具だけを扱う博物館だ。「だけ」というところが重要で、こういう施設は世界的にもほとんど例がない。
木の門をくぐる
まず門が良い。
コンクリートと石の壁面に、木の扉と格子がはめ込まれている。くぐった先に緑が見える。この門の向こうが別の時間であることを、建物自体が告げている。中に入ると壁も天井も什器も木で、博物館というより木造建築の内部にそのまま入り込んだような感覚になる。
受付でチケットを受け取って、少し笑った。
鉋(かんな)の形をしている。
三木の名工が記録した最薄の削り花は3ミクロン。髪の毛の太さの50分の1以下だ。そんな道具を型どったチケットで来館者を迎えるあたりに、この場所の姿勢が出ている。
墨壺の特別展示
今回いちばん見入ったのは、墨壺(すみつぼ)の特別展示だった。
墨壺は、糸に墨を含ませてぱちんと弾くことで、木材に直線を引く道具だ。チョークラインと同じ原理だが、見た目がまるで違う。展示されていた墨壺の中には、漆を塗り、精緻な彫刻を施したものまである。
ただ線を引くための道具に、なぜここまで手をかけるのか。
建物を建てるとき、木材に「墨を付ける」──基準線を引く作業がすべての精度の起点になる。この線が狂えば、継手は噛み合わず、柱は傾く。だから墨壺は、大工にとって最も個人的な道具になった。自分の仕事の精度を定める道具に、誇りを込めないわけがない。並んだ墨壺を見ていると、そのことが腑に落ちる。
体験コーナーでは実際に墨壺を使える。「Pull out → Snap → Reel in」の3ステップ。隣にいたアメリカ人らしき父親が、きれいに線が出たとき "That's brilliant!" と声を上げていた。
石から鉄へ
階段を降りると常設展示が始まる。時代を追いながら道具の変遷をたどる構成で、最初に出迎えるのは石器だ。
石の斧で木を叩き割っていた時代から、大陸経由で鉄が入ってくる。この転換がなければ、日本の木造建築は今の姿になっていない。鉄の鑿がなければ継手は彫れない。鉄の鉋がなければ仕上げはできない。釘を使わない木組み建築という離れ業は、鉄の道具なしには成立しなかった。
鋸
日本の鋸は引いて切る。西洋は押して切る。引き切りのほうが刃を薄くでき、切断面が滑らかになる。理屈は単純だが、この差が建築の仕上がりに直結する。
鉋
今の形になったのは江戸時代。削った面がそのまま仕上げ面になる。三木の鉋鍛冶がいま追い続けているのは、この切れ味の先だ。
鑿
三木産の鑿もあった。市蔵本舗が日常的に扱っている道具がここに並んでいる。工房と博物館が地続きであることを、こういうところで実感する。
宮大工の仕事
ここが展示の核だと思った。
木組み
継手と仕口の模型が置いてあり、来館者が自分の手で組める。やってみた。角度をわずかにずらすと、すとんと落ちる。この精度を、一本の木材から鑿だけで彫り出す。一棟の建物で何百箇所も繰り返す。コンピューター解析でも完全再現が難しいと言われている技術の意味を、手のひらで少しだけ知った気がした。
組物
「組物」あるいは「斗栱(ときょう)」。屋根の荷重を柱に分散させる構造体であり、建物の表情を決める意匠でもある。下から見上げるのとは違う情報量が、目の前の実物にはある。
名工の系譜
道具を使う人だけでなく、作る人にも展示が割かれている。壁一面の系譜図は、名工の師弟関係を樹形図のように描いたものだ。
映像端末では、名工が実際に鍛造している姿を見ることもできる。槌を振り、刃を研ぎ、銘を切る。技術が文字でなく映像で残っているのは、ありがたいことだと思った。
茶室
展示の終盤に、実際に入れる茶室がある。茶室を建てる大工は「数寄屋大工」と呼ばれ、宮大工とはまた別の技術体系を持つ。格子の組み方、障子を通る光の加減、柱に選ばれた木の表情。派手なものは何もないのに、空間が強い。
来館者の8割が外国人だった
今回の訪問でいちばん考えさせられたのは、展示そのものではなかった。
見回すと、来館者のおよそ8割が外国人だった。欧米系が多い。
法隆寺や姫路城を訪れる外国人は増え続けているが、「なぜあの建物がああいう形をしているのか」「どういう道具で建てたのか」を知る機会は少ない。竹中大工道具館はその問いに答えている場所であり、だから人が来る。道具と技術の背景を知ることで、日本の木造建築がまったく違って見えるようになる。あの来館者たちが母国に帰って語ることが、また次の来館者を連れてくるのだろう。
帰り道に思ったこと
竹中大工道具館が見せている世界と、市蔵本舗が日々やっていることは、根が同じだ。三木の鍛冶が道具を作り、大工が使い、建物が残る。その連なりの中に、市蔵本舗もいる。そのことを改めて確かめながら、新神戸駅に向かった。