システムエンジニアが、なぜ刃物を売っているのか
「なぜ、あなたが刃物を?」
市蔵本舗の活動を知った人から、よくこう聞かれる。
たしかに、不思議だと思う。私の本業はシステムエンジニアだ。毎日パソコンに向かい、コードを書き、システムを設計する。鍛冶場で鉄を叩いているわけではない。包丁を研ぎ上げる修行を積んだわけでもない。
それでも今、私は播州──兵庫県の三木市・小野市を中心とする地域──の刃物文化を、世界に届ける仕事をしている。70年の歴史を持つ「市蔵」というブランドを復興し、eBayを通じて海外の木工愛好家や料理人に刃物を届けている。
なぜそうなったのか。
答えはシンプルだ。人との出会いが、私の人生を変えた。
DJ仲間との再会 ── はりよしとの出会い
話は20代に遡る。
当時の私はDJをやっていた。クラブで音楽をかけ、クラブカルチャーに身を置いていた。その頃の仲間のひとりが、のちに株式会社はりよし(hariyoshi777.com)の社長になる男だった。
はりよしは、播州・小野にある釣針メーカーだ。戦後の食糧難の時代、「本当に釣れる針」として全国に名を轟かせた。しかし、広告の時代の波に乗り切れず、大きな宣伝をすることなく、ただ黙々と高品質な釣針を作り続けてきた会社だ。
30代になって、私はシステムエンジニアとして独立していた。ある日、DJ時代の仲間──はりよしの社長から連絡が来た。
「Webサイトのリニューアルを手伝ってくれないか」
それが、すべての始まりだった。
品質の高いモノづくりが、人を感動させる
はりよしのWebサイトを作るために、私は工場を訪ね、製品を手に取り、顧客の声を聞いた。
そこで目にしたのは、想像以上の世界だった。
はりよしの釣針は、使う人を感動させる。「おじいちゃんが使っていた、はりよしの針にまた出会えた」──そんな声が届く。広告を打たなくても、口コミだけで広がっていく。おじいちゃんの世代には知る人が多い。しかし、広告の時代を経て、私たちの親の世代には認知度が低くなっていた。それでも、本当に品質の高い釣針を求める人たちの間では、静かに、確実に、名前が伝わり続けていた。
品質の高いモノづくりは、使う人を喜ばせる。そして物語を生む。
はりよしの社長は言った。「モノづくりを通じて、世の中を良くしていきたい」と。
私はその言葉に、深く共感した。
播州の刃物屋との出会い
はりよしがある小野市は、刃物の産地でもある。
江戸時代末期、小野藩主・一柳家の治める地で、刀鍛冶の名工・藤原伊助が活躍した。彼は刀鍛冶の技術を農民用の鎌に応用し、「カミソリ鎌」を生み出した。「研げば研ぐほどよく切れる」──その評判は日本全国に広がり、播州小野は日本有数の刃物の町として確立された。
はりよしとの仕事を通じて、ある刃物屋を紹介された。
その刃物屋は、もともと大工道具──特に鋸に強い店だった。鑿、鉋、包丁、さまざまな刃物を扱う老舗の刃物屋だ。しかし、EC化の時代の流れに乗れず、細々と商売を続けていた。
「あんたはシステムエンジニアだろう。ネットでの販売を手伝えないか」
そう声をかけられた。
そして、その刃物屋が70年前に作ったブランドが──「市蔵」だった。
「市蔵」という名前の重み
市蔵。
明治時代、この播州の地に「市蔵」という篤志家がいた。地域の神社仏閣に多くの私財を投じ、人々のために尽くした人物だ。戦後の刃物産業復興期、創設者は「最高品質の刃物」にふさわしい名前として、市蔵の名を選んだ。
単なる商標ではない。「品質への絶対的な信頼」と「地域への愛」を誓う約束の名だった。
その名前の由来を知ったとき、私は刃物屋の方に「市蔵さんのお墓に参らせてほしい」とお願いした。
ブランドを受け継ぐ以上、先人への敬意を示したかった。それは計算ではなく、自然な感情だった。
刃物屋の方は、その行動を見て信頼を寄せてくれた。「この人なら任せられる」と。
システムエンジニアにしかできないこと
私は鍛冶職人ではない。鋼を叩くことはできない。
しかし、私にできることがある。
播州の刃物は、世界に通用する品質を持っている。三木・小野を中心とする地域の職人たちが、何世代にもわたって磨き上げてきた技術がある。しかし、それを世界に届ける手段がなかった。
はりよしがそうだったように、広告の時代に乗り切れず、インターネットの時代にも乗り切れず、ただ品質だけを頼りに細々と続けてきた。
その「届ける」部分を、私が担う。
これが、システムエンジニアである私が市蔵本舗をやる理由だ。Webサイトを作り、eBayで海外に販売し、ブログで刃物の文化的背景を発信し、SNSで播州の鍛冶文化を伝える。職人が作ったものを、それを求めている人のもとへ届ける。
説明しなくても、伝わる瞬間
市蔵本舗の活動を続ける中で、忘れられない出来事があった。
クロアチアに、元大統領や首相の料理を担当していたシェフがいる。現在は行動障害を持つ若者たちに料理とアートを教えている人物だ。
彼は50本以上のナイフを所有するプロフェッショナルだが、ある日、市蔵本舗の肥後守の写真を見て「このナイフは自分のために作られた」と直感し、購入してくれた。
届いた肥後守を、彼は自分で細かく調整し、常にポケットに入れて持ち歩くようになった。朝、庭でハーブを摘むとき。家族のために料理をするとき。教室で魚をさばくとき。ベッドサイドにも置いている。
50本のナイフを持つプロが、たった一本の肥後守を「毎日の相棒」に選んだ。
私が最もうれしかったのは、彼が市蔵本舗の思想を説明せずとも理解してくれていたことだ。
シンプルであること。本質だけを残すこと。不要なものを削ぎ落とすこと。
私たちがこの刃物に込めた哲学を、彼は使うことで、自然と感じ取ってくれていた。
刃物の先にあるもの
正直に言えば、私が市蔵本舗を通じてやりたいことは、刃物を売ることだけではない。
日本の刃物は、世界的なブランドだ。多くの人が興味を持ち、手に取りやすい。しかし、刃物はあくまで入口にすぎない。
その先にあるのは、日本文化そのものだ。
日本文化は1,500年以上続いてきた。その中には、「物を大切にする」「丁寧に生きる」「自分と向き合う」──人生を豊かにする知恵が、深く埋め込まれている。
刃物を手にした人が、その背景にある文化に興味を持つ。文化を知った人が、丁寧に生きることの価値を感じる。そういう人が増えれば、世の中は少しだけ、心豊かな場所になる。
AIが効率と論理を担う時代だからこそ、心の豊かさ、文化的な深み、自分自身と向き合う時間が必要になると、私は思っている。
70年の暖簾を、次の100年へ
市蔵というブランドは、70年前に生まれた。
播州の篤志家の名を冠し、大工道具の黄金期を支え、職人たちの信頼を得てきた。時代が変わり、広告の時代が来て、インターネットの時代が来て、それでも品質だけは守り続けてきた。
私がやるべきことは、この70年の歴史に泥を塗らないこと。そして、次の100年へ暖簾をつなぐこと。
播州の職人が作った刃物を、世界中の本物志向の人々へ届ける。その刃物を通じて、日本文化の本質に触れてもらう。触れた人の人生が、少しだけ豊かになる。
これが、システムエンジニアである私が、市蔵本舗のブランドをやる理由だ。
金澤 好晃 ── 市蔵本舗(Ichizo Honpo) 2026年3月