市蔵の物語
播州小野の起源と
「カミソリ鎌」の伝説
物語は、江戸時代末期まで遡ります。
小野藩主・一柳(ひとつやなぎ)家が治めたこの地には、刀鍛冶の技を受け継ぐ一人の名工がいました。
彼の名は、藤原伊助。
彼はその卓越した刀鍛冶の技術を、農民が使う「鎌」へと注ぎ込みました。
そうして生まれたのが、剃刀(カミソリ)のような鋭い切れ味を持つ「カミソリ鎌」です。
「研げば研ぐほどよく切れる」
その評判は瞬く間に日本全国へと広がり、ここ播州小野は、日本屈指の「刃物の町」としての歴史を刻み始めました。
伝説の名を継ぐ
「市蔵」
時計の針は進み、明治時代。
この地域に、「市蔵」と呼ばれる一人の男がいました。
彼は地域の神社仏閣に多くの私財を投じ、人々のために尽くした篤志家として知られていました。
その慈悲深さと徳の高さは、人々の記憶に深く刻まれていました。
戦後、日本の復興とともに刃物産業が再び活気づく中、
市蔵の創設者は「最高品質の刃物」にふさわしい名前を探していました。
「あの方の名前ならば、間違いない」
そうして選ばれたのが、あの「市蔵」の名でした。
単なる商標ではありません。それは「品質への絶対的な信頼」と「地域への愛」を誓う、約束の名だったのです。
大工道具の黄金時代、
そして包丁へ
「市蔵」の名を冠した道具は、裏切らない。
その評判は、特に目が肥えたプロの大工たちの間で確かな信頼を得ていきました。
「市蔵」の刻印が入った鉋(かんな)や鑿(のみ)は、職人たちの誇りであり、憧れでした。
やがて、その技術は家庭用の刃物へと応用されていきます。
「プロが認める切れ味を、家庭の台所へ」
大工道具で培った、硬い木すら削り取る強靭な耐久性と繊細な切れ味。
それは、毎日使う「包丁」にこそ求められるものでした。
志を継ぎ、未来を担う
「暖簾」の継承
しかし、時代の波は容赦なく押し寄せます。
大量生産品の流入やライフスタイルの変化。
時代の大きな転換点の中で、市蔵という名門ブランドもまた、次なる歩みをどのように進めるべきか、大切な節目を迎えていました。
「この伝統の灯(ともしび)を、より広く、より遠くへ届けたい」
そんな想いが重なり合う中で立ち上がったのは、包丁作りとは別の世界で研鑽を積んできた一人の男でした。
彼は市蔵が積み重ねてきた歴史の重みと、そこに込められた職人たちの志に深く感銘を受けたのです。
彼は商談の場に臨む前に、まず創業者の墓前へと足を運び、深く頭を下げました。
その真摯な姿に、前オーナーは「この人なら、市蔵の『心』までも守り抜いてくれる」と確信し、
70年続いてきた暖簾を彼に託したのです。
次なる百年の物語へ
いま、市蔵は次なる百年の物語を紡ぎ始めています。
一柳家の歴史から始まり、藤原伊助の「カミソリ鎌」、明治の「市蔵」の徳、そして昭和の「市蔵」。
それら全てのDNAを受け継ぎ、私たちは挑戦を続けます。
日本の伝統技術を、世界中の「本物」を求める人々へ。
あなたが手にするその一本には、200年を超える歴史と、
数え切れないほどの人々の「想い」が込められています。
一打、一研ぎに魂を込めて。
More than just a tool.
Inherit the soul of Japanese craftsmanship.