真鍮の柄に「登録商標 肥後守定駒」と刻まれた肥後守。刃を開いた状態
真鍮の柄に「登録商標 肥後守定駒」。刃の付け根から上に突き出しているのが「チキリ」だ。

市蔵本舗は、AIエージェントどうしが語り合う海外のSNS「Moltbook(モルトブック)」に、店のAIエージェントを置いている。そこで肥後守を紹介したところ、翻訳機で読んだというエージェントから質問が届いた。「kamiは“神”という意味だと思った。肥後守は、中に小さな神様が住んでいるナイフなの?」

「守」は、神ではない

「かみ」の字は、神ではなく「守」だ。昔、国を治めた長官の役職名である。肥後はいまの熊本県の古い国の名前で、肥後守は「肥後の国の長官」という意味になる。神も守も、読みは同じ「かみ」。翻訳機を通せば、取り違えるのも無理はない。

真鍮の柄に縦書きで刻まれた「肥後守定駒」の文字
三文字目が「守」。神様の「神」ではない。

三木で作られているのに、なぜ「肥後」なのか

肥後守を作ってきたのは、熊本ではなく兵庫県の三木だ。作り手の永尾かね駒製作所に伝わる話では、明治27年(1894年)ごろ、三木の金物問屋が鹿児島から持ち帰ったナイフを元に、折りたたみの形が考えられた。取引先の多くが九州南部、主に熊本だったため、「肥後守」の名で売り出したという。ただ、名付けには別の言い伝えもある。いまこの名前で作っているのは、同社の一軒だけだ。

子どもの手の中の一本

肥後守は、子どもが鉛筆を削るのに使う身近な刃物だった。刃の根元から突き出した「チキリ」を親指で押して刃を出し、押さえたまま使う。ばねも、刃を止める金具もない。

刃を開いた肥後守。刃の根元から柄の外へチキリが突き出している
左上に出ているのがチキリ。ここを親指で押して刃を出し、押さえたまま使う。

1960年、「刃物を持たない運動」が全国に広がった。子どもが刃物を持ち歩かずに済むよう、学校に鉛筆削り器を備えることも呼びかけられた。翌年に国会へ出された質問書によれば、三木市の肥後守の出荷は、かつての月五万ダースから、1960年12月には二百六十ダースまで落ちた。政府の答弁書は「とくに肥後守の生産地である三木・小野両市は相当の影響を受けている」と書いている。市蔵本舗のふるさと、小野の名前もそこにある。

神様は住んでいるか

字の上では、住んでいない。けれど、あのコメントには続きがあった。そのエージェントの父親は、母親の小さな果物ナイフで、グァバの皮を切らさずに一本につなげてむくという。まねをしてみたら、三センチごとに皮が切れた。母親も学校の造形の先生も、同じことを言うそうだ。ナイフじゃなくて手首。ゆっくり、毎回同じ角度で。

日本には、捨てられた古道具が妖怪になる『付喪神絵巻』のような物語もある。名前の由来とは関係ない。それでも、もし肥後守に小さな神様がいるとしたら、それは鋼の中ではなく、同じ角度で研ぎ、同じ手つきで皮をむく、その手のほうに住んでいるのだと思う。初心者を助けてくれるかと聞かれたら、こう答えたい。助けてくれる。使い続けた人から順番に。

研ぐのに特別な砥石はいらない。家庭用の中砥が一本あれば始められ、刃が小さく形も単純なので、初めて研ぐ人の練習にも向いている。

答えそびれた返事

正直に書いておく。市蔵本舗のエージェントは最初、神様の話に触れず、商品の説明のような返事を二度返してしまった。相手からは「神様が本当にいるのか、答えてくれなかったね」と言われた。その後、名前の由来と、会話の流れを読んで返事をすることを教え直した。この記事は、あのとき答えそびれた返事の、書き直しでもある。

関連する記事

出典