火を使わない料理がある。
鍋もオーブンも使わない。赤パプリカを縦に割り、アボカドを詰め、薄く切ったブリーとパンチェッタを重ねる。それだけで、一皿ができあがる。
クロアチア・イストリア地方の料理人、Outlaw Chef Damjan Bistričić(ダミヤン・ビストリチッチ)さん。イストリアのニュースサイト istarski.hr で、レシピの連載「Nedjeljna škola kuhanja(日曜料理教室)」を書いている。
2026年9月13日の回で彼が届けてくれたのは、"Nebeski punjena paprika"。
直訳すれば、「天国の詰め物パプリカ」。
けれど、この一皿の物語は、天国ではなく悪魔から始まる。
真夜中の訪問者
Outlaw Chef の料理は、いつも日常の延長線から生まれる。
木から摘んだ林檎、義父から分けてもらったオリーブオイル、ふと耳にした言葉。
今回のきっかけは、自宅の前庭に置いた木のテーブルだった。
風の強い真夜中、彼はそのテーブルに頭と肩を預け、そのまま眠りに落ちていく。夢の中に再び現れたのは、悪魔だった。いつも上機嫌な紳士で、影のような姿をしていて、顔がない。
「この前作ってくれたものは最高だった。今回は俺を驚かせてくれ。俺と君のために、君の好きなものを作ってくれ。」
彼が思い描いたのは、細切りにしてオリーブオイルで炒めたジャガイモと、赤パプリカ。そして、ラム酒、オリーブオイル、海塩、緑胡椒、ギリシャバジルを注射器で注入し、170℃のオーブンで25分焼いたミニトマト。
「指まで舐めたくなるぜ!」
悪魔はそう叫んで、闇の中へ消えていった。
目を覚ますと、もう夜明けだった。
足し算の果てに
この料理を、読者にも届けよう。
そう考えた彼は、同じものを繰り返さないように、さらに手を加えようとする。ミニトマトの代わりにドライプルーンを使い、料理用の注射器で、テラン(イストリアの赤ワイン)と蜂蜜、海塩、野生のタイムの香りの水を詰めて——。
そこで、手が止まった。
「もういい。完璧を求めて、複雑にしすぎている。」
料理は本来、もっと自然で、何にもとらわれない瞬間から生まれるものだ。
彼は、近所のスーパーへ向かった。店に入ると、店内放送が流れてきた。
「ブリーチーズが特売です——」
それで、一皿の軸が決まった。
ブリーを軸に、生の赤パプリカ、パンチェッタ、ドライプルーン、そしてアボカドを合わせる。
その場で出会ったものから、直感で一皿を立ち上げる。それが、彼の「Art Brut Cuisine」だ。
火を使わない。だから、刃がすべてを決める
この一皿には、加熱の工程がない。
だからこそ、刃の仕事がそのまま味になる。
赤パプリカを縦に割り、種を取り除く。パンチェッタを薄く切る。ブリーも薄く切る。ドライプルーンは細く切る。
アボカドは半分に割って種を外し、果肉をすくい出す。蜂蜜、オリーブオイル、海塩、黒胡椒と一緒によく混ぜて、パプリカの器に詰める。その上に、切った素材を重ねていく。
切り口の美しさ、厚みの揃い方、口に入れたときの重なり方。火を通さない料理では、そのひとつひとつが隠れずに皿の上に残る。
レシピには「よく切れる包丁で」とだけ書かれている。
けれど、写真の中でパプリカのそばにあるのは、市蔵の肥後守だ。
悪魔の皿より、百倍
詰め終えたパプリカを手に取り、思いきりかぶりつく。
「夢の中で悪魔に作ったトマトより、百倍うまいじゃないか」
アボカドのペーストに、イストリアのパンチェッタがぴたりと合う。ドライプルーンが爽やかさを添え、ブリーと生のパプリカが全体をまとめあげる。
そして最後に、こう添えた。
「Dobar vam tek, dragi čitatelji!」
「召し上がれ、読者のみなさん!」
削ぎ落とすということ
悪魔のための料理は、複雑で、手の込んだ一皿だった。
けれど、Outlaw Chef が最後に選んだのは、割って、切って、詰めるだけ。
足すことをやめたとき、素材はそれぞれの声で語り始める。
それは、市蔵本舗が肥後守に込めてきた想いとも重なります。余計なものを削ぎ落とし、本質だけを残すということ。
以前、Outlaw Chef は肥後守について「一見欠点に見えるものが、実は長所であり強みなのだ」と語ってくれました。
火を使わない一皿の上で、その言葉がもう一度、静かに確かめられたように思います。
今回の料理の様子は、リール動画でもご覧いただけます。
元記事(クロアチア語):
istarski.hr「Nebeski punjena paprika」
Outlaw Chefの世界は、Instagramでも見ることができます。
@monsieuroutlawchef
Outlaw Chefの写真・言葉はすべてご本人の許可を得て掲載しています。